| > まず大事なことは、引用や転載という言葉が、何のために有るのか、 > 何を意味しているのか、ということです。
はい。基本に忠実に理解をしたいと考えます。 ありがとうございます。
> 残念ですが、法律というものは、常に後追いのものです。 > データベースに著作権を認めるのも、データベースという存在が出来たからです。 > 元々あった項目ではありません。
そのようですね。権利問題は疎いもので・・・
> ですから、インターネット上の書き込みも、もちろん想定などされていません。 > 用語と現状を、どう摺り合わせていくかということが大事になると思います。 > いずれは、判例が積み重ねられて、方向性も明確になっていくとは思いますが。
はい。
> まず、まちゅさんが、引用と転載に分量の違いを書いていますが、 > それは違うと思います。 > なぜなら、元の文が5行しかない場合でも、転載することは出来ますし、 > 10行以上を引用することも、出来るからです。
はい。そうですね。考えを改めました。
> 引用と転載のいちばん大きな違いは、その目的と態様です。
はい。
> 引用は、著作権法第32条に明記されているように、 略 > 基本的に、文字ものにおいて引用は「本」を対象にして考えられています。 > ですから、ある意味量的な注釈が必要になるのです。
はい。本が基本で発生したのが著作権なのですね。 だから、量が重要になったと言うことがわかりました。
> あとにも書きますが、著作権は財産権なので、 > 著作権者の経済的な利益を守るのが、第一の目的なのです。
はい。
> 経済的な権利を守るための考えを、お金が絡まない関係に > そのまま持ち込んで良いものかどうかは、考える必要があると思います。
はい。
> そこで問題になるのが、wikiにも書かれている「質的にも量的にも、 > 引用先が「主」、引用部分が「従」の関係」です。 > この概念もまた、上に挙げたような「本」を対象にしていると考えられます。
はい。
> インターネットでの引用では、量的な部分で逆転することも多いと思います。 > それを一概に、量で線引きして、引用ではない、と切り捨てられるのかどうか? > 1行批評というスタイルも存在するので、この場合引用出来るのは1行以下 > になってしまいます。 > しかし、丸ごと引用することは、ある意味公平な態度です。
はい。そうですね。そう思うに至りました。
> 恣意的に、一部を取り出すより、閲覧者に対して公平な目で見られる機会を > 提供しているともいえます。
そうですね。
> 「本」における引用でも、引用部分の前後だけを取り出せば、 > 量的には逆転していることもあると思います。 > インターネットでの引用は、このような部分を取り出しているもの、 > と考えてもいいのではないでしょうか?
はい。
> 魚拓についても、同様だと思います。 > 魚拓そのものは、ツールでしかありません。 > 引用対象が消えてしまうのを防ぐために利用しているのなら、 > それは引用と考えるべきではないでしょうか?
はい。
> おまけ > 著作権について > 著作権の本体は、財産権です。 > ですから、極端なことをいえば「金を生まないもの」に著作権など発生しないのです。 > ただ、著作人格権などは存在しますので、投稿についても商用目的で > 利用されない限りにおいては、著作人格権の範囲内で議論されるべきもの > ではないかと思います。
はい。
> すいません。いまいちまとまらなかったです。
いえ、ずいぶんと整理されました。ありがとうございます。
> to まちゅ様へ > 「著作」では意味がわかりません。 > 著作物、著作者、著作権など、明確な用語を使ってください。
はい。今後気をつけます。
本日は只今より、パソコン教室の準備に取り掛からないといけません。 あとのお返事は夜になります。
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